克服のために踏み込む
一昨日に恐怖を植え付けられた場所に再び行くことにしました
結局は正面から向き合わないと、トラウマになりかねないという感覚があったからです
外に出て、その現場に近づくと、やはり鳥肌が・・・
いわゆる体が拒否しているというか怯えているんでしょうね
その現場に到着し、想定はしていた結果に複雑な感情がわいてきました
まるで何もなかったような状態でした
知っている人はごくわずか、そこを通る人は知る由もない
もしかしてアレはなかったのではないかという否定したい気持ちも確認できました
(我ながら興味深い複雑な気持ちの変化、それこそが今回の衝撃度を表しています)
その日にも思いましたが、世の中そういうものなのだなと
夜にも挑戦し、やはり鳥肌が立ったものの、昼間よりはマシな反応
これは何度か試して、時間も含めて風化させるのが一番なのかもしれません
分解していく
今回分かったことは恐怖は膨らむということ
本質からどんどん離れていくような演出みたいに余計なものがついてきて膨らんでいきます
分解していきながら、なぜ怖いのかを追求していくと案外不要に怖がっていることを認識できました
世間的にも恐怖を煽る傾向はありますが、自分自身でそれをやってしまうのかなと
実際に似たような体験をしている方もトラウマになっているケースは調べてみると少なからずあるようです
幸いなことにダメージコントロールしやすい条件はあるので、それを忘れずにいきたいところですね
うつ病を患って、苦しみながらも乗り越えてきた方法が役立ちそうです
自分でやるしかない
実はトラウマになる前の処置として、うつ病治療でお世話になったメンタルクリニックの先生に相談するという選択肢も頭にはありました
ただ調べてみると、その先生はしばらくお休みで受診できないということを知り、自力で乗り越えろという流れだと腹をくくった次第
対応を誤ると、トラウマになって克服が難しくなりますが、色々なものと自分の特性を考慮しつつ、動きたいですね
感謝の言葉
過去の経験が活きる
それを痛感し、自分でなんとかするという覚悟ができたのはいい傾向かもしれません
もちろん抱えすぎるのはリスクが高いので、分散する方向です
人生の中でも5本の指に入る衝撃でしたが、なんとかなりそうという感覚もあります
そういう形にできるようになった自分があるのも、多くの人や経験をしてきたからこそ
感謝ですね
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